ラ・マルセイエーズ
このラ・マルセイエーズはフランス映画「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」( 原題:La Môme, 英題:La Vie En Rose)からの1シーンです。
歌っているのは、ポリーヌ・ビュルレ (Pauline Burlet)で10歳の頃のエディット・ピアフを演じています。
エディット・ピアフは母親に置いていかれ、幼少時代を祖母が経営する売春宿で過ごしました。
売春宿での暮らしでしたが、ピアフは売春婦たちから愛情を注がれて育ちました。
その愛情は、母親からは得られなかったものでした。
教育を受けることもなく、立ち振る舞いも話し方も上品とは言えません。
その後、父親が戦地から戻り、サーカスで暮らすようになります。
けれども、父親は、サーカス団長とうまくいかず、出て行くことになります。
次に父親は、大道芸をして、生計を立てます。
父親と暮らし始めたピアフは10歳という幼さで、街角で歌うようになります。
ピアフがひとたび歌を歌うと、周囲の人々の心を掴みます。
ピアフは生きるために街角で歌い続けます。
聴衆が支払うチップは父親のものになります。
幼少の頃から売春婦や売春宿の客たちと接し、そのような状況がピアフの人格形成に影響を与え、彼女の歌に傷心的な声を伴ったバラードという特徴を与えました。
どん底の境遇からピアフは歌の才能でのし上がります。
大人になり、愛した人を失っても、歌しかないピアフは歌い続けます。
ピアフは、上品ではない言葉をたくさん使い、美人でもありません。
けれども歌だけは天性の才能に恵まれています。
場末のシンガーからシャンソン歌手へと駆け上がる二十代、成熟した三十代、そして、病魔に冒される晩年の四十代 、期待を裏切らないピアフを演じるマリオン・コティヤールの演技は、素晴らしいです。
この映画は若い頃と壮年の頃の時系列を入れ替えて効果的に表現しようとするつくりなので多少わかりにくいところもあるかもしれません。
映画「カサブランカ」におけるラ・マルセイエーズ
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シャルル・ド・ゴール大統領のラ・マルセイエーズ
ラ・マルセイエーズ(仏: La Marseillaise)は、フランスの国歌です。
もとはフランス革命のときの革命歌で、マルセイユの連盟兵(義勇兵)が歌っていたことからこの名前がつけられています。
この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長フィリップ=フレデリク・ド・ディートリヒ男爵 が工兵大尉ルージェ・ド・リールに要望し、一夜で作詞作曲したというのが定説です。
このとき付けられたタイトルは「ライン軍のための軍歌」でした。
その後、この歌は全国にパンフレットという形で流布されました。
テュイルリー宮襲撃事件の約2週間前にマルセイユ連盟兵がパリ入城したときに歌っていたことをきっかけとしてパリ市民の間で流行しました。
さらに1795年7月14日に国民公会で国歌として採用されました。
また、現在7節あるうちの最後の節(「子供の歌」)は同年10月に付け加えられ、ジャン=バティスト・デュボワ、マリー=ジョゼフ・シェニエ(詩人)、デュボワ神父の作だと言われています。
しかしながら、フランス政府の公式見解としては7番(7節)の歌詞は作者不詳とされています。